僕たちの棲む世界

この世界はなんなのかを知る。自分は何者なのかを知る。

挑戦しないことには失敗もない

失敗すると恥ずかしい。

失敗したら笑われる。

そんなことを考えて挑戦することから逃げる自分がいる。

 

 

挑戦するから失敗する。

失敗したくなければ、最初から挑戦しなければいい。

 

新しいことに挑戦して、いきなり成功する人はまずいない。

大抵、最初は失敗するものだ。

  

 

何度も何度も失敗して、少しずつ成功に近づく。

少しずつ、できなかったことが、できるようになる。

少しずつ、わからなかったことが、わかるようになる。

 

失敗を恐れず、挑戦すると決意して、行動をおこさねば、なにも始まらない。

 

 

いつまで経っても成功できず、

何もできないまま、

何もわからないまま

同じ場所に永遠に留まり続ける。

 

失敗を恐れて何もしなければ、永遠に何も始まらない。

 

 

失敗した数は挑戦した数。

失敗を恐れていてはなにごとにも挑戦できない。

むしろ失敗を取りにいけ。

堂々と失敗しようではないか。

 

 

失敗してもかまうものか。

やりたいことをやるんだ。

そう決心して行動することこそが尊い

 

 

失敗して笑われたって良い。

 

自らは挑戦もせず、失敗も成功もない安全な場所から、挑戦して失敗した他人を笑う。

そんなのは無価値だ。

 

失敗する人間のほうが全然価値がある。

 

そんな無価値な人間に笑われたからって、なんだって言うんだ?

失敗を笑われることを恐れて、臆病になることこそ、惜しむべきだ。

 

 

思い切って挑戦して、思いっきり失敗しようではないか。

そのうち成功するかもしれない。

 

大事なのは成功するか失敗するかではない。

挑戦するか、しないかだ。

 

失敗することを恐れるより、

何もしないという選択をすることこそ恐れるべきだ。

 

 

失敗を恐れるなかれ。何もしないことこそ恐れるべし。

そんなことより、自分の内にあるものに耳を傾けよう。

気がつくと考えてる。

 

 

なにかしたいと思っても

 

「周りの人間が認めてくれるだろうか?」

「周りの人達が褒めてくれるだろうか?」

「感心してくれるだろうか?」

 

 

また

 

 

「これをして怒られないだろうか?失望させないだろうか?」

「笑われないだろうか?」

「恥をかかないだろうか」

 

 

そういうことを真っ先に考えてしまう。

 

 

 

なにかをやろうとするときに

大事なのは他人の目じゃない。他人の気持ちじゃない。

 

 

自分の気持ちだ。

 

 

自分の心に耳を傾けて。

 

 

自分はどうしたい?

自分はどう思う?

自分にとって価値がある?

 

 

心の奥底にある自分の純粋な気持ちに耳を傾けよう。

 

 

周りに合わせて生きることに夢中で、

僕らは自分のほんとうの気持ち、想いに気が付かない。

気づこうともしない。

 

 

だってそんなもにに価値がないと社会から教えられて生きたから。

 

 

なにかを感じるのは自分。

なにかを想うのも自分。

なのに他人の気持ちにばかり目を向けている。

 

 

人生でほんとうに大事な想いは自分の内側にしかない。

外の世界に目を向けてばかりいないで、

自分の心の内側に目を向けよう。耳を傾けよう。

 

 

さあ、自分はどうしたい?

 

 

八方美人では底辺を抜け出せないという話

自分の置かれている環境がいわゆる底辺で、金銭的にも精神的にも貧しい環境。そんな中から抜け出すのはなかなかに難しい。人は環境に左右されてしまう生き物だからだ。

 

底辺な人生から抜け出したいと思うなら、周囲にいい顔をしては駄目だなと思った。

 

以下、そのことについて思ったことを箇条書きしてみる。

 

 

  • 人間は自分の周囲の人間の言動に知らず知らずのうちにに引っ張られてしまう。周囲の常識が自分の常識になる。油断してると自分も貧困脳、底辺脳になっていて貧困の沼にハマる。
  • 底辺な人たちの中で生きるということは、パチンコなどのギャンブル、風俗、ソシャゲ、お酒、そういうのが常識な世界で生きるということ。そういうのに興味を持ってないと周りと話をあわせられない。認められてもらえない。だからそういう環境の中で人に好かれようと思うと、趣味を合わせていかなけばならない。
  • 週末になると毎週のように呑みに行く人、毎日パチンコに行く人、身の丈に合わない車とか持ってる人、ソシャゲ漬けになってる人、タバコや酒依存症になってる人、そんな人の常識に合わせてると、気付かない間に自分もそうなっていく。
  • 底辺は令和の今となっても昭和の価値観で生きている。「呑む、打つ、遊ぶ」の3点セットをしない人間を憐れむ。何が楽しくて生きてるの?と言ってくる。いつまでも昭和の価値観のまま停滞してるほうがどうかしてるとは思うが。

 

  • 底辺な人たちの間では仲間意識が強い。仲間と認めてもらえないと、いじめにあったり、敵のみなされて弾かれたりする。しかしその辛さに耐えなければ、そこから抜け出すのは不可能に近い。
  • 浪費家の中で生きてると、浪費が当たり前になる。貧困層には収入が低い上に、お金をバンバン使う人が大勢いるので、自分もその仲間になってしまう危険性が大きい。→浪費家がまわりにいる環境だと、自分も気がついたら浪費家になっている。倹約家がいる環境にいたほうが良い。倹約が常識になる。

 

  • 付き合いでやってるつもりが自分もだんだんと依存症になっていって、それにお金を使うことが当たり前になっていく。どこがで気がつけばよいのだが、常識になってしまえば、なかなか気がつけない。
  • 私も、頻繁に旅行で遠出する人が周りにいる環境にいたので、それが常識になり、旅行に何万も使うことが当たり前になっていた。冷静になって考えると異常なこと。これではお金はたまらないし生活に余裕もできない。
  • 私も気がつけば周囲に影響されてアルコール依存症になりつつあった。酒がステータスみたい思ってた。お酒を語れるとカッコいいとか思ってた。お酒自体は美味しいとも思わなかったし、味の違いもたいしてわからなかった。
  • 酒自体も高いものだし、車社会で生きる田舎者の私には外で酒を呑むためには不便な公共交通機関を利用しなければならず、不便で余計にお金も時間もかかる。家で呑むと、その日はどこにも行けなくなり1日潰れる。できることならお酒の習慣はつけないほうがいい。
  • ぶっちゃけ、酒、たばこ、ギャンブル(パチンコ、宝くじなど)、風俗、ゲーム(ソシャゲ)、カラオケなど、自分の周りがみんなやってる娯楽には近づかないようにしたい。個人的には旅行も浪費だと考える。

 

  • 底辺な人たちはくだらないことのために借金も厭わない。借金するのが常識となってる。車や家はもちろん、ギャンブルを投資だからと言って簡単にお金を借りる。借金することに抵抗がないし、利息とか考えない。
  • 自分の月給と同じくらいの金額を平気でギャンブルやその場限りの消費に使ってしまう。そういう人たちが周りにいれば自分も借金に抵抗がなくなる。欲しい物があれば借金すればいいやとなってしまう。→逆に貯蓄が常識な環境にいれば「うわあ!私の預金残高低すぎ!」的な感覚になり、お金が溜まりやすくなる。
  • 本当にそれが好きならばいいけど、憂さ晴らし、その場限りの快楽に時間とお金を使うのは馬鹿らしいと考える。世間ではそういった憂さ晴らしは良いことのように言われるけど、結局はその場限りの憂さ晴らしにうつつを抜かしてると死ぬまで底辺からは抜け出せない。
  • お金を得るために労働する→ストレスが貯まる→憂さ晴らしにお金を使う→お金がなくなる→またお金を得るために働く。この永久ループの罠にハマってる間は永遠に底辺から抜け出せない。

    akatuskimaru.hatenablog.com

  • 無駄な浪費はお金だけでなく時間も消費する。人生の多くの時間を仕事(会社)に奪われていくなかで、貴重な自分のための時間を余計なことに削られていく。自分の為の時間の重みに気がつかなければならない。

 

  • お金は命(人生)=自分の持ってる時間を削って生み出しているもの。命(人生)の代償で得たものを管理、執着しないのは自分の人生を粗末にしてしまっていることと同じ。辛い労働で得たお金を、湯水のように自分には無価値なことに使うのはやめたほうが良いし、そういう環境にいつまでもいるのは駄目だ。
  • 自分の生活を顧みて、本当にしたいことに自分の時間を使ってるだろうか?仕事中はお金のため、生活のためにやりたくないことも我慢してやらなきゃならない。その上、プライベートな時間まで、周囲に合わせるために自分のやりたくないことをやる。そんな人生になんの意味があるのか。
  • 自分の日々の行動はほんとうにやりたいことだったのか?そういうことをチェックしておかないと、気が付かない間に周囲にながされ、自分にとって価値のないことに、自分の人生(時間、時間を切り売り(労働)して得たお金)を費やしてしまってる。

 

  • 自分にとってなにが大事で、なにがいらないかを常に認識しておくことが大事。大切なことに集中しよう。
  • 自分の時間(=人生(命))を消耗する日々の労働で得たお金にもっと関心を持とう。丁寧に扱おう。自分がお金を何に使ったのか、把握しておかないと駄目だ。お金を粗末に扱うのは自分の人生(命)を粗末に扱うようなものだ。底辺の連中はお金に関心がないから、自分が何にいくら使ったのかすら理解していないし、浪費している現状も省みれない。

  • 心の底では軽蔑している人達(浪費家。依存症)に嫌われても良しとしよう。うまく距離を置こう。その結果弾かれたとしても、それも環境を変えるいい機会だったと受け入れる覚悟を持とう。

 

自分が底辺な環境で生きていて、そこから抜け出したいと思うならば、周りに合わせていては絶対に駄目だということ。そのことをよく理解して底辺に居続けさせようとする社会の罠から脱出しなければ一生このままで終わってしまうよ。

誠実さや優しさが仇になる世界

人間関係にずっと苦しんできた私は、この歳になるまで、どんな相手にも丁寧に、誠実に、優しく接するよう心がけてきた。

 

相手を傷つけず、逆らわず、他人の期待には最大限、応えられるよう努力する。それが他人と仲良くする基本だと。

 

「誰とでも仲良くなって、仲良しになろう」って子供の頃教えられて育った。(他人にとって、社会にとって)良い人になろうと教育されて育ってきた。

 

また家庭でも親に気に入られるように嫌われないよう自分を殺して、育ちました。親の言うことを聞かないと、ひどい目に合わされたから。

 

そうして今の自分が出来上がった。

 

他人と争わない。何事も他人を優先。誠実に、他人に優しく、他人に嫌われないように、他人に嫌われるなら自分を犠牲にする。そういう他人との接し方が、染み付いて離れない。

 

しかし、心の底から、他人に対してそう思っているかと云うと、真逆で、心のなかはドロドロとした他人に対する敵対心や嫉妬、恨みつらみが渦巻いてた。そんな感情を押し殺してるから尚更、そんなものが心の中にどんどん蓄積されていく。

 

ホンネを隠して、ヘラヘラ笑って、争いを避け、自分を主張せず、何事にも抵抗しない身についた生き方。

 

そんな生き方が自分を不幸のどん底に叩き落してるんだと、今になってようやく気がついた。

 

人の心は自分が思ってるほど、キレイなものではない。

 

よほどの達観者でなければ、相手が自分より上か下かを判断してしまう。同等な存在とは思わず、コイツは自分より上なのか下なのかを見極めようとする。

 

そんなことはないって思うかもしれないが、これは人間の心理とはそいうふうにできている。意識してなくとも、無意識にそうしてる。

 

みんな平等でみんな同じだなんていうのはキレイゴトでしかない。世の中は不条理でできている。

 

そんな人間の心理を知らずに、どんな相手であっても、丁寧に誠実に扱えば、それに応えてくれると、相手の言うことを尊重し、尊敬し、言うことを聞けば、自分に対してもそうしてくれるのが当たり前だと勘違いしたと思う。

 

 

でもそれは完全に間違いでした。

 

 

こういう考え方で他人や社会と接する結果、起こりうる不幸なことが2つある。

 

 

一つは、他人はそういった態度を誠実と捉えずに、卑屈だと捉えること。こちらのことを同等だと思わずに下だと判断してしまうこと。認識してしまうこと。

 

そう判断されてしまうと、こちらへの扱いが雑になる。最悪、相手に自覚があるなしに関わらず、体の良い奴隷、便利な人間、道具みないに扱われてしまう。

 

平気で約束を破る人がそうだ。しかも自分が約束を破るのはいいが、こっちが約束を破るのは許せない。その時点で友達(同等な存在)だと思われていないんだ。そのことに気が付かねばいけない。

 

ちょっとしたことでこっちを責めてきて、自分はこちらを傷つけることを平気でやってくる。相手と争いたくないからすぐに「ごめん」と言ってしまう。どう考えても相手が悪い場合でも謝ってしまう。

 

「自分の非を認められない人間になるな、謝らない人間になるな」と教育されてきた賜物だ。

 

しかし、こうなると相手から、たとえ何をしても簡単に謝るから、コイツには何をやっても何を言っても大丈夫なんだって認識されてしまう。だからめちゃくちゃな扱いをされる。

 

「友達だから当然だよね」と言いつつ、自分の都合で振り回す、面倒事を押し付ける、憂さ晴らしの道具にする。

 

たいして仲が良くもない人から「金貸して」なんて平然と言われるのは、相手に下に見られ、馬鹿にされてる証拠だ。

 

 

そんなこと言う相手に問題があるのは当然だけれども、そんなことを平気で言われる自分の在り方にも問題がある。

それだけ他人にナメられてしまう存在ということだ。

 

 

ネットワークビジネスとかに誘われ易い人間もそうだ。コイツなら簡単に騙されてくれるだろう、養分になってくれるだろうって思われてんだ。

 

 

2つ目は、自分の中にどんどん毒をためていくということだ。相手にひどい扱いを受けても抵抗できない。抗えない。

 

ニコニコとした表情とはウラハラに心のなかでは相手に対する憎悪や批判の気持ちがどんどん蓄積されていく。相手が信用できなくなる。

 

でもそれを表にだすことはできない。それは相手を不快にすることだから。相手に嫌われることだから。「自分は人に親切で優しく心の広い人間である」にあらねばならないという心情に反することだから。

 

でも、人の精神はそんな毒にいつまでも耐えれるものではない。いつかは限界が来て爆発する。そして人間関係が破綻する。

 

そういうことを繰り返していくうちにどんどん人間不信に陥って、自分は誰とも仲良くなれない。誰とも上手くやっていけない。

 

どうして誠実に素直に接してるのにわかってもらえないんだ?何が悪いんだ?わからない。どうしていいかわからないと、だんだと病んでいく。

 

 

だから誰にでも誠実で、優しく、丁寧に接するのは止めよ。

 

人間の心理に過剰に期待するな。妄想的な理想を抱くな。人の心なんてそんなに成熟しているものではない。

 

誠実であれば、誠意をつくせば、応えてくれるなんて平和ボケの理想主義者の戯言だ。世の中はどこまで行っても世知辛い。人の心は醜い。それは自分自身を見ればよくわかることではないか。他人だって自分と同じさ。

 

 

人間に対する認識を変えよ。

 

 

自分を犠牲にして他人に尽くすな。すぐに謝るな。ひどい扱いをしてくる相手に抵抗し、抗議しろ。駄目なら人間関係を切れ。

 

結果として失う人間関係なら、終わってしまっても構わないではないか。自分の中に毒を残すよりも遥かにダメージが少ない。

 

ワガママ?自分勝手?それも結構ではないか。自分を殺して他人に取り入ろうとするよりマシだと思う。

 

自分の人間関係に対する考え方を根本から変えないと、地獄のような人間関係の中で死ぬまで苦しめられることになる。他人は変えられないから自分が変わっていくしか無い。限りある自分の人生を誰かに苦しめられて消費して行かないためにも。

他者満足な人生は卒業

自分がやってることが正しいか正しくないのかをいちいち他人にジャッジしてもらわないとわからない。自分が今、幸福なのかどうかすら、他人に決めてもらったり、他人と比べたりしないとわからない。

 

自分が幸せかどうかでさえ、自分で決められない。情けないことです。

 

例えば、SNSがわかりやすい。

 

”いいね”されると途端に嬉しくなったり、逆にされなくて悲しんだり、見ず知らずの他人の反応にいちいち一喜一憂してる。まるでそれが自分の価値であるかのように。

 

フォロワーの反応がないかどうかを常に気にして、時間があればSNSをチェックし続けてる。実に不毛なことです。

 

 

思えば、自分は何かをやりたくても、どこかに行きたくても、誰かと一緒でなければ行動できない人間だったと思う。これでも最近はマシになったんだけれども。

 

何をするにも他人次第、何処に行くにも他人次第。

 

どんなことも他人が基準。

 

自分では気が付かなかったけど、他人が自分を認めてくれなくては、それをやることに意味はない。そんなふうにずっと考えていたと思う。

 

そんな人生をずっと歩んできた気がする。

 

 

「ジコマンはイケナイ」ってよく言われるけど、自己満足、けっこうなことではないか。自分で満足できないことをやってなんの意味があるのか?

 

みんな他者満足になっちゃってんじゃないの?自己満足より他者満足のほうが心配。何が満足かどうかくらい自分で解かれよ。馬鹿なの。

 

 

他人に認めてもらう人間になりましょう。他人にはだれにでも親切にしましょう。他人から嫌われるようなことをしてはいけません。そう言い聞かされて真面目に育ってしまった人間の末路。

 

厳しい親に育てられ、親の言うことが絶対で、自分の考えや気持ちなんか、なんの価値もない。親の言うことを聞くことだけが正義と思わされて育った人間の成れの果て。

 

それが今の自分だ。自分に自信を持てないし、何もできない、何をすればいいのかすらわからない。自分がどうなればシアワセかどうかさえわからない人間の出来上がりである。

 

そもそも、他人の顔色を伺って、他人の期待通りに動く人間って、魅力が無いと思う。

 

魅力がないって思われるだけならまだ良い。ズル賢い人達のいいカモにされる。

 

嬉々として自分の期待に応えようとして、嫌なことをやっても、不当に扱っても文句のひとつも言ってこない。便利なヤツだと思われて、大事にはされないし、さんざん振り回して、ポイされる。

 

いつも他人には親切にしてるのに、なぜかいつも他人に裏切られ続けるのは、たぶんその人が他人に尽くしすぎる人だからと思う。

 

いつも他人から金を貸してとか言われる人は要注意。他人の顔色を伺って、他人を基準に物事を判断する癖をやめなければ、一生同じような裏切られる人生が続く。

 

 

「いい子チャン」って言うのは他人にとって都合の「いい子チャン」なんだよ。「良い人ね」って言われてヘラヘラしてるお前。お前は馬鹿だ。それは都合の「良い人」って笑われてるだけだぞ。そこは危機感を持たんといかん。

 

 

他人の気持ちなんて気まぐれに変わるものだし、他人が自分をどう思っているか勝手に想像したところで実際はどうかはわからない。安易に他人が自分をどう思ってるかとか何を期待してるかを想像して、勝手に悩んで勝手に自滅したりしてる。

 

いつも他人からどう思われてるかに怯えてビクビクして生きてる。誰かに怒られるのではないか?誰かの期待に応えられていないのではないか?誰かに嫌われてるのではないか?そんな不安が起きてる間ずっと続いている。それだけで毎日疲れてしまってる。

 

他人の自分に対する言動にいちいち一喜一憂し、周りの顔色ばかり伺って可笑しくもないのにヘラヘラしてる。不当な態度を取られても怒らない。相手が悪いと思わずに、自分が何処か悪かったからとか考えてしまう。

 

そんなんで幸せになれますか?自分の満足の行く人生を送れますか?

 

また、他人に評価されようという基準で動くと、人生なにもなし得なくなる。他人にどう思われても、自分のやりたいことやって、満足する。そういう考え方をしてないと何も始められない。

 

他人に認められることだけが良いことで、他人に認められないことはやるべきでない。そんな基準で動いてると、本当に人生がつまらなくなる。

 

誰だって最初は下手で、他人から馬鹿にされる程度の技量しか持ってないと思う。でも他人に認めてもらえないからと辞めてしまったらなんにも始められない。そんな人生つまらない。

 

誰になんと言われようと自分がやりたいからやる!そういう気持ちで始めないと、他人に気持ちを削がれ、なんにも新しいことができない人間に成り下がってしまう。

 

 

今までの人生、他人に誠実に、他人に親切に、他人に認めてもらえる人間になるように「良い子ちゃん」で生きてきた。結果どうか。他人には裏切られ続け、都合よく使われ、振り回されて、真の友人も恋人もできず虚しく人生を終えそう。そんな人生なってる。

 

もう、どちらでも結果が同じなら、もっと自分勝手にやりたいことをやって残りの人生を生きていきたい。

 

今までの人生、思い返せはもっと他人の反応を気にせず思いっきり自分のやりたいことをやってたら、失敗したとしてももっとマシだった。納得できたって場面ばかりだ。

 

感覚が麻痺してしまって、自分勝手に生きるっていうのが良くわかんないけど、それすらわかんない人生なんて捨ててしまいたいと思う。

消費する毎日と、積み重ねる毎日

→仕事をしてお金を稼ぐ

→ストレスが溜まる

→お金を使ってストレスを発散

→お金がなくなる

→お金が無いから仕事をする

→仕事をしてお金を稼ぐ(はじめに戻る)

 

そんな永久ループをずっと繰り返していく人生。

 

虚しい。

 

多くの社会人はこのパターンに嵌ってるんじゃないでしょうか?

 

 

「ストレス発散」を言い訳にして、その瞬間の快楽や満足のためにお金や貴重なプライベートな時間を消費してゆく。

 

その結果、何も残らず、何も蓄積されず、何も変わることがない人生。

 

どうしたらいいですかね?

 

 

自分の時間をどう過ごすかには2種類の過ごし方があるんじゃないかと思います。

 

  • ただただお金や時間を消費するだけのもの
  • お金と時間を使って積み重ねていくもの

 

例えば

 

(消費するだけのもの)

  • 酒やたばこ
  • ギャンブル
  • ゲーム
  • カラオケ
  • グルメ
  • テレビ(もしくはネット)
  • 衝動買い

 

(積み重なっていくもの)

  • 勉強
  • 運動
  • 本を読む
  • なりたい自分に向けて行動する
  • あたらしいことを経験する
  • 大切な人と時間を過ごす

 

あくまでわかりやすい例えで、人によってはそうじゃないって思うかもしれませんが。

 

 

「ストレス発散になる」というのはマイナスが0に戻るだけで、その場では有意義でも長い目で見たら何も残りません。

 

マイナスを0に戻すだけだと現状に戻るだけで、なんの変化も期待できない。人生なにも変わらない。貴重な自分の時間とお金を今一瞬の快楽のために、ただただ消費させていく。

 

そう、その瞬間だけに得られる快楽というのが僕が思う「消費するだけの時間(人生)」なのであります。

 

世の中っていうのはこれらを特に悪いこととは言わず、むしろ「ストレス発散」は良いことのように言っていて、私自身もそれを悪いことだとは思っていなかったのです。

 

それで成り立ってる業界がある以上、悪いようには言わないでしょう。

 

でも、今の私は「消費するだけの時間」を悪いことと判断します。世の中の常識がどうであろうとも、自分にとって害悪ならそれは害悪なのです。

 

社会の養分にならないためにも、社会で認められていようと、自分にとって悪いものは悪い!と判断できないとどんどん流されていくだけです。

 

 

自分の時間を過ごすのであれば、自分の人生にプラスになるような、積み重ねることによって変化を期待できる行動をする習慣をつけていきたい。

 

もちろんなにが消費でなにが蓄積になるのかは個人差があるので、そのあたりは人それぞれなんだけど。

 

 

私個人の消費してるだけと思える時間の過ごし方は…。

 

  • お酒を呑む
  • ただただ付き合いで誰かと遊びにいく
  • たいした目的もなくドライブや旅行にでかける
  • ネットで無目的に動画を見続ける
  • なんとなく集めてるコレクション(フィギュア・グッズ・読まない本やゲームなど)を衝動買い

 

改めて考えてみると、消費するだけの時間がいかに多いかがよくわかります。

 

対して積み重なっていく時間のすごしかたとは

 

  • 自分の本当にやりたいことに対して技術を学習する。腕を磨く。経験をつむ
  • 健康のために運動などをする
  • あたらしい知識を身につける
  • 自分の考えや経験をアウトプットする
  • 生活をより快適にするためになにかする(整理整頓・生活の見直し)

 

あたりですかね。

 

 

一生懸命、嫌な思いやつらい思いをして、稼いだお金。

そして忙しい社会人生活の合間にできる貴重な自分の時間。

 

それをただただ消費するだけではなく、それが後々に残っていくような、有効に活用されていくようなそんな自分の時間を過ごしたいですね。

 

もう単に消費していくだけの時間なんて嫌かな。

 

時間やお金を使うなら、自分の中に何かが積み重なっていくものに使っていきたい。

 

 

何のために働くかというのは、何のために生きるかということでもあると思います。

 

ただただストレス発散のために延々と働くか、働くことで得たお金で、なりたい自分に近づくために自分に投資してゆくのか。

 

自分の時間をどう過ごすのかというのは、自分の人生をどう生きるかということでもあると思います。疎かにしてはいけません。

 

消費するだけの人生から、何かを積み重ねてゆく人生へ。

 

あなた自身の貴重な人生はあなた自身が守るもの。

 

おおげさな表現になりますが、社会はあなたの人生をなにかと消費させて養分にしようとしています。いかにもそれが当たり前、常識であるかのように錯覚させられます。

 

そういうシステムが社会にできあがってるのです。

 

自分の人生を守るためにも、そういう仕組で社会が動いてることを自覚して、いかに流されないかを考えて生きなければなりません。

 

自分自身を社会の養分、ただただ消費されていくだけのものにしてはいけません。気をつけていきたいです。

嫌なことで頭をいっぱいにしない

嫌なことをよく考えます。

 

なにか失敗とかしたり、人に否定されたり、嫌なことがあったりすると、途端にネガティブシンキングモードへ入ってしまいます。

 

延々と自分がいかに駄目な人間かと考えたり、自分の置かれた環境を嘆いたり、相手の態度を批判したり、過去の似たような事例を思い出して、検証してみたり、嫌な考えが頭の中をぐるぐる巡り、どんどん気分が落ち込んでいきます。

 

また普段なにもないときでさえ、何かのはずみで、昔経験した嫌なことを思い出して、無駄に悔しい気持ちで頭の中がいっぱいになったりします。

 

そしてこのネガティブシンキングモードは長い時間自分の頭の中を支配します。ずっと嫌な考えがあたまのなかをぐるぐると巡り続けます。他のことは考えられなくなります。気持ちも底なし沼にハマるようにズブズブと沈んで抜け出せなくなります。

 

 

頭の中が嫌な考えに支配され、良いアイデアや楽しいことや、前向きに生きようとすることがまったく考えられなくなります。

 

 

自信も、やる気も失われ、生きていることがとても苦しく感じられるようになります。

 

もうこんな人生なのなら死んでしまいたいとまで思えるようになります。

 

なんとかしてネガティブシンキングな状態を解除する方法を考えないと、たぶんずっと生きるのが苦しいままです。

 

状況を良くする思考を考える余地もなく、ただただ自分を追い詰めるだけの考え。

 

いくら考えてもなにも改善されず、精神を蝕む有害な思考

 

 

ほんと、こういう思考パターンの癖がついてるのは人生において大きな損害となると思います。

 

 

そしてこのネガティブシンキングモードを普段から繰り返してると、なにかしたいという前向きな気持ちにも、ブレーキをかけてしまいます。

 

なにか新しいことに挑戦しようとしても、「どうせ上手くいきっこない」と自己暗示をかけてしまうことです。

 

なにかしようとしても、過去の事例を持ち出してきて、どうせ上手くいきっこなからやめておこう、と積極的に何かをする気持ちをすぐに否定しようとしてしまいます。

 

たとえ行動に移せたとしても、「上手くいきっこない」という考えて動くから、上手くいくはずもありません。自分に自己暗示をかけているようなものです。

 

そして実際に上手くいかないと「ほらやっぱり上手くいかなかったやん」とますます「上手くいきっこない」という気持ちを強化してしまいます。

 

 

こういうネカティブシンキングモードに入ったときはできるだけ早く気がついて、思考を停止させるか、楽しいことを無理矢理にでも考えたりして、嫌な考えのループから抜け出す努力をしなければいけません。

 

まずは自分にはそういうネガティブな思考に陥りがちということに気がついて、そこから抜け出す努力や工夫をするべきだと思います。