僕たちの棲む世界

この世界はなんなのかを知る。自分は何者なのかを知る。

非現実的な理想を捨てて、実際の自分をまずは受け入れる。

私は自分を「賢くて真面目で親切で寛容で優秀」な人間だと思ってました。

 

…いや少なくともそうなりたいと思ってました。

 

そういう自己イメージでずっとずーっと苦しんでいたと思います。

 

残念ながら現実の方はそれを許してくれなかったのですね。

 

 

実際の自分はそうではなかった。

 

 

そうなりたいとは思っていたけど、自分の中の本質はそうではないようです。

 

 

私は賢くはない。

 

私は真面目でもない。

 

私は親切でもない。

 

私は寛容ではない。

 

私は優秀ではない。

 

 

その現実と向き合って受け入れた時…心がすっと楽になりました。

 

 

そんなの逃げに過ぎない、そうなるように努力しないと!!

 

 

そんなふうに思われるかもしれません。

 

僕自身、そんな自分を受け入れようとしたときに「そんなのを認めちゃいけない!理想に近づけるようにに努力しろ!」って思いましたよ。

 

 

でも、まずは一旦そういう自分の素養を受け入れなくちゃ。

 

 

そこから始めないと、いくら否定したところで、どうにもならない。

 

居直るってわけではないけれども、現実の自分がそうであるんだから、それを否定するのは何か違う。

 

第一そんな「賢くて真面目で親切で寛容で優秀」な人間がそうそう簡単にいてたまるかっていうの。

 

そんな人間に自分が成れるなんていうのって、烏滸がましいにもほどがある。

 

…って客観的に見て気がついたのですね。

 

 

理想と違う自分。

 

(理想の)自己イメーシと違う自分。

 

まずはそれを認めましょう、受け入れましょうってことです。

 

 

そこを否定しまくっていたら、そりゃまあひどいストレスになるのは当たり前です。

 

その理想に反する行動をとってしまう度に、自己否定していたら疲れ果ててしまって当然。

 

所詮人間は劣った部分や非寛容な部分や馬鹿な部分や不真面目な部分を持ち合わせているものです。

 

 

理想をすべて兼ね備えた人間なんてそうそう居るもんじゃないです。非現実的です。

 

 

そんな非現実的な理想はとっとと捨てて、まずは現実の自分を認めて、そこからどうすればいいか考えましょうよ。

 

 

人間、良いところもあって悪いところもある。それでバランスを保っている部分もあると思います。

 

自分の嫌な部分があっても、そんな自分も否定せずそれをまずは受け入れることをしようと思います。

 

嫌な自分も自分だ、劣った自分も自分だと、とりあえず何も考えずに肯定する。そうすることってなんか大事なんじゃなかなーって思います。