僕たちの棲む世界

この世界はなんなのかを知る。自分は何者なのかを知る。

永遠に満たされない人生よりも”足るを知る”ことで満たされる人生。

僕らは”足るを知る”ということを覚えなくてはならない。

 

今の社会、どこを見ても広告だらけ。新しいモノの刺激に満ちてる。

 

新しいものを買え!買え!と刺激してくる。

 

自分が今持ってる、過去欲しかった素晴らしいモノたちを忘れて、ひたすらに新しいものを求める。

 

気がつけば部屋は無価値なガラクタで埋め尽くされている。

 

自分がかつて欲しがり、必死の思いで得たもの。得てしまえば価値を見いだせない。

 

 

自分が何を持ってないか、自分になにが足らないか

 

そんなことより、

 

自分が何を持ってるか、何を得てるのか?そのことを思い出すべきだ。

 

 

自分にあるものに思いを馳せないと、永遠に新しいものを買い続けることになってしまう。

 

永遠に新しいものを追い求め続ける不毛な人生。

 

ほら買え!さあ買え!と言われ続けて、金を無駄に使いまくり、その無駄に使うお金のために自分の時間(=人生)を切り売りしていく毎日。資本主義社会の養分となる生き方。実に不毛です。

 

何を買っても、何を得ても、どこまて行っても満足しない気持ち。

 

いつまでも”持ってない”という乾きをいだき続けてそれが決して満たされることはない。

 

自分の持ってるもの。今あるものに目を向けよう。価値を感じよう。そうしなければいつまで経っても満足できないしシアワセも感じられない。

 

 

飢え続ける資本主義の奴隷だ。そうならないためにも持ってるものに目を向けよう。大切にしよう。持ってるものを愛でよう。新しいものばかり求め続けるのはやめよう。

 

シアワセはすでに手の中にあるのだから。

 

 

モノだけではない。自分の行動にもどこまで行っても満足しない。

 

世間は言う。

 

いつも反省しなさい。足りてない部分を探しなさい!そんなんで満足してはダメ!満足なんてしたら成長できないよ!その程度で満足していてはシアワセになんてなれないよ!それはただの自己満足だよ!自己満足で済ませちゃだめ!みんなあんたの行動なんて認めてない!認められるようにならなきゃ!

 

こんなの、疲れます…。

 

僕らはどこまでいけば満足感を得られるのでしょうか?

 

いつになればシアワセになれるのでしょうか?

 

足るを知ろうではないですか。

 

僕らは頑張った!楽しんだ!満足してる!これでいいんだ!そう感じることが全て。

 

自分の行動に満足するかどうかなんて自分が決めることだ。他人にそう思ってもらうようなものではない。満足を感じよう。

 

自己満足、大いに結構。

 

自己満足さえ永遠にできないよりは遥かにマシである。

 

いつまで経っても満ち足りないよりは遥かにマシである。

 

もう自分の足らない部分を探すのはよそう。足らない部分を探すより満足を探そう。感じよう。

 

自分は今、満ち足りていると考えよう。足りてない部分を探し続けるのはよそう。自分は今、満たされている。