僕たちの棲む世界

この世界はなんなのかを知る。自分は何者なのかを知る。

周囲の顔色をうかがうことしかできない君へ

誰にも逆らわずに、他人のいうことを聞いて、喧嘩せず、良い人であり、素直に、誠実に、誰にでも優しく、誰にでも親切。

 

 

…そんな生き方をすれば、最後は社会に殺されるんだよ。

 

 

周りのいうことを素直に聞いて生きていたら、会社に殺されかけた。

 

殺されかけても笑って耐えてる自分ってなんなんだって思う。

 

 

認められようとするな!(他人に)素直になろうとするな!

 

いい人になんてなろうとするな!

 

 

そんなのはずるい人間のいい養分だ!養分となり死んでいく。

 

 

「あの人はいい人だから~」

 

なんて言われて嬉しそうにしてるそこのお前!命は短いぞ!

 

 

「あの人は(周囲にとって、都合の)いい人だから~」

 

 

って言われてるのに気づけ!

 

 

理不尽には逆らえ!不当な要求に屈するな!嫌なものは断れ!ときには悪い人間になれ!嫌われることを恐れるな!

 

 

素直ないい子になんてなろうとすれば、いいカモだぞ!

 

 

人間ていうのは相手がなんでもいうことを聞いてくれると認識すると、相手を見下してくる。相手の言うことをなんでもきいて仲良くなろうなんて逆効果。

 

簡単には操れない人間だと知らせておかないと対等な人間関係にはならない。

 

たとえそれで嫌われても、自分を見下そう、利用しようとした人間から嫌われたところで損はない。よく考えるんだ。

 

 

自分をいい人間だなんて思うな!

いい人間になろうなんて思うな!

ときには悪人にされることも躊躇うな!

誰にでも優しくするな!

周りに流されるな!

反抗しろ!反逆しろ!

歯向かえ!

嫌われても主張しろ!

他人に融合しようとするな!

他人の言いなりになんてならずに自分の頭で考えろ!

自分の気持ちを大切にしろ!

自分は今何を感じてる?

相手に従って大丈夫か?

本当は嫌なんじゃないか?

 

 

お前がアホ面でニコニコして人の言うことを聞く姿をみて、周囲はニヤニヤ笑ってるぞ!

 

「ああ、いいカモがいる」

「なんでも言うことを聞く利用しやすい人間がいる」

「あのマヌケからタカってやれ!」

 

さんざん利用しておいて、利用価値が無くなったらポイ!だ。

 

 

なぜかいつも友達に裏切られるとかいうヤツはそんなヤツだ。あんなに尽くしてやったのに、あんなに親切にしてやったのに、あんなに気を使ってやったのに。

 

自分の都合で一方的にポイできる人間て思われただけなんだよ。

友達とか甘い言葉で近づいてきて、利用するだけ利用して飽きたらポイ!

 

…その程度の扱いなんだよ、おまえなんて。

 

そんな扱いされても文句の一つも相手にいえないお人好し。

だからまた次も同じ目にあう。いい加減目を覚ませ。

 

 

いいか、いい人になんてなろうとするな!

 

その心を利用されてお前からいろんなものを奪っていく人間がたくさんいるぞ!

 

カラッポな頭で他人の言うことに従うんじゃない!

 

つねに自分の頭で考えろ!自分の心の声を聞け!

 

なにかおかしくないか?間違っていないか?

 

何も考えないお人好しのバカは一生他人の養分やってろ!馬鹿野郎。

 

永遠に満たされない人生よりも”足るを知る”ことで満たされる人生。

僕らは”足るを知る”ということを覚えなくてはならない。

 

今の社会、どこを見ても広告だらけ。新しいモノの刺激に満ちてる。

 

新しいものを買え!買え!と刺激してくる。

 

自分が今持ってる、過去欲しかった素晴らしいモノたちを忘れて、ひたすらに新しいものを求める。

 

気がつけば部屋は無価値なガラクタで埋め尽くされている。

 

自分がかつて欲しがり、必死の思いで得たもの。得てしまえば価値を見いだせない。

 

 

自分が何を持ってないか、自分になにが足らないか

 

そんなことより、

 

自分が何を持ってるか、何を得てるのか?そのことを思い出すべきだ。

 

 

自分にあるものに思いを馳せないと、永遠に新しいものを買い続けることになってしまう。

 

永遠に新しいものを追い求め続ける不毛な人生。

 

ほら買え!さあ買え!と言われ続けて、金を無駄に使いまくり、その無駄に使うお金のために自分の時間(=人生)を切り売りしていく毎日。資本主義社会の養分となる生き方。実に不毛です。

 

何を買っても、何を得ても、どこまて行っても満足しない気持ち。

 

いつまでも”持ってない”という乾きをいだき続けてそれが決して満たされることはない。

 

自分の持ってるもの。今あるものに目を向けよう。価値を感じよう。そうしなければいつまで経っても満足できないしシアワセも感じられない。

 

 

飢え続ける資本主義の奴隷だ。そうならないためにも持ってるものに目を向けよう。大切にしよう。持ってるものを愛でよう。新しいものばかり求め続けるのはやめよう。

 

シアワセはすでに手の中にあるのだから。

 

 

モノだけではない。自分の行動にもどこまで行っても満足しない。

 

世間は言う。

 

いつも反省しなさい。足りてない部分を探しなさい!そんなんで満足してはダメ!満足なんてしたら成長できないよ!その程度で満足していてはシアワセになんてなれないよ!それはただの自己満足だよ!自己満足で済ませちゃだめ!みんなあんたの行動なんて認めてない!認められるようにならなきゃ!

 

こんなの、疲れます…。

 

僕らはどこまでいけば満足感を得られるのでしょうか?

 

いつになればシアワセになれるのでしょうか?

 

足るを知ろうではないですか。

 

僕らは頑張った!楽しんだ!満足してる!これでいいんだ!そう感じることが全て。

 

自分の行動に満足するかどうかなんて自分が決めることだ。他人にそう思ってもらうようなものではない。満足を感じよう。

 

自己満足、大いに結構。

 

自己満足さえ永遠にできないよりは遥かにマシである。

 

いつまで経っても満ち足りないよりは遥かにマシである。

 

もう自分の足らない部分を探すのはよそう。足らない部分を探すより満足を探そう。感じよう。

 

自分は今、満ち足りていると考えよう。足りてない部分を探し続けるのはよそう。自分は今、満たされている。

非現実的な理想を捨てて、実際の自分をまずは受け入れる。

私は自分を「賢くて真面目で親切で寛容で優秀」な人間だと思ってました。

 

…いや少なくともそうなりたいと思ってました。

 

そういう自己イメージでずっとずーっと苦しんでいたと思います。

 

残念ながら現実の方はそれを許してくれなかったのですね。

 

 

実際の自分はそうではなかった。

 

 

そうなりたいとは思っていたけど、自分の中の本質はそうではないようです。

 

 

私は賢くはない。

 

私は真面目でもない。

 

私は親切でもない。

 

私は寛容ではない。

 

私は優秀ではない。

 

 

その現実と向き合って受け入れた時…心がすっと楽になりました。

 

 

そんなの逃げに過ぎない、そうなるように努力しないと!!

 

 

そんなふうに思われるかもしれません。

 

僕自身、そんな自分を受け入れようとしたときに「そんなのを認めちゃいけない!理想に近づけるようにに努力しろ!」って思いましたよ。

 

 

でも、まずは一旦そういう自分の素養を受け入れなくちゃ。

 

 

そこから始めないと、いくら否定したところで、どうにもならない。

 

居直るってわけではないけれども、現実の自分がそうであるんだから、それを否定するのは何か違う。

 

第一そんな「賢くて真面目で親切で寛容で優秀」な人間がそうそう簡単にいてたまるかっていうの。

 

そんな人間に自分が成れるなんていうのって、烏滸がましいにもほどがある。

 

…って客観的に見て気がついたのですね。

 

 

理想と違う自分。

 

(理想の)自己イメーシと違う自分。

 

まずはそれを認めましょう、受け入れましょうってことです。

 

 

そこを否定しまくっていたら、そりゃまあひどいストレスになるのは当たり前です。

 

その理想に反する行動をとってしまう度に、自己否定していたら疲れ果ててしまって当然。

 

所詮人間は劣った部分や非寛容な部分や馬鹿な部分や不真面目な部分を持ち合わせているものです。

 

 

理想をすべて兼ね備えた人間なんてそうそう居るもんじゃないです。非現実的です。

 

 

そんな非現実的な理想はとっとと捨てて、まずは現実の自分を認めて、そこからどうすればいいか考えましょうよ。

 

 

人間、良いところもあって悪いところもある。それでバランスを保っている部分もあると思います。

 

自分の嫌な部分があっても、そんな自分も否定せずそれをまずは受け入れることをしようと思います。

 

嫌な自分も自分だ、劣った自分も自分だと、とりあえず何も考えずに肯定する。そうすることってなんか大事なんじゃなかなーって思います。

この一瞬こそが確かな現実

未来のことを考えて漠然とした不安に襲われる。

 

過去起こった嫌なことを思い出して悲しい気分になる。

または楽しかった過去と今の惨めな現状を比べる…。

 

 

そんなことについつい振り回されて、今が疎かになる。

 

馬鹿げたことです。

 

来てもいない未来のことを今心配しても仕方がありません。

 

変えようのない過去のことで今、暗い気持ちになるのは損です。

 

 

未来なんてその時にならないとわからない。

 

過去は現実ですよね?

 

いえいえ過去なんてものは記憶の中にしかありません。

 

そしてその記憶なんて曖昧なものです。

 

勘違いしてたり、都合のいいことだけを覚えてたり、極端な場合は記憶そのものを気が付かないうちに捻じ曲げていたり…

 

確かなものではないです。

 

 

確かな現実は今この瞬間にしかない。

 

言い換えると今この瞬間こそが自分の人生なのです。

 

今この瞬間を大事にすることこそが大切。過去や未来に囚われている場合ではありません。

 

明日の仕事嫌だなあ…とか、昔こんな悪いことがあったなあ…とか思って気分が落ち込んでしまうのはモッタイナイ。

 

二度ど来ない今この瞬間を見つめて、丁寧に充実して過ごすことに集中すべきです。

 

嫌な未来を待っている。

 

嫌な過去に引きづられる。

 

どちらも断ち切らねばなりません。

 

 

今見てるもの、今感じてるもの、今置かれてる場所、いま考えてること、それのみが人生の確かな現実であり、集中すべき大事なこと。過去や未来に煩わされてる暇はありません。

 

そして今という一瞬を大切に丁寧に扱っていくことこそが大事です。

 

どんなに今この瞬間が楽しかろうと辛かろうと、今ことが人生。

 

軽んじていい瞬間なんてありません。

 

今この瞬間をいかにして充実させるかということを考えていかねばなりません。

 

 

人生とは一瞬一瞬の刹那の連続である”って何かで読みました。

 

 

確かにそのとおりだなあって思います。

 

そこを理解しておくと、少しは人生が楽になっていく気がします。

 

 

明日の○○いやだなあ…なんて気分になったらこのこと思い出そう。

 

昨日のことを後悔して悶々としだしたらこのことを思い出そう。

 

確かな現実なんていうのは今この瞬間でしかないし、その瞬間を過去や未来にとらわれて疎かにしてはいけないということを。

はじめに

このブログでは、どうしたら楽しく充実した人生が送れるかを考察するためにはじめました。

 

日々の生活で感じたことや、新しく得られた生きることについての考え方などをまとめていきたいと思います。

 

よろしくおねがいします。

 

 

いままでの自分の人生を振り返ると、自信も充実もなくずっと何処と無く苦しい生活を送っていたと思います。

 

楽しい思い出より圧倒的に苦しくてつらい思い出ばかり。

後悔ばかりの毎日です。

 

この先もずっとそういう人生を死ぬまで送っていかないといけないかと思うと、生きてく気力が無くなってしまいます。

 

このまま毎日をなにかに耐えてだらだら生きていくのは嫌ですよね。

 

一生このまま終わるのはあまりに救いがなさすぎる。

 

そしてそんな人生を救うのは自分自身以外にないのです。

 

たぶんそのためには今までにはない新たな思考、新たな哲学、新たな認識、新たな気付きが必要です。

 

考え方を変え、生活を変え、環境を変え、自分が納得できる人生を。たった一度の人生、どうすれば楽しく充実した自分らしい人生を送れるのか、考えていこうと思います。

 

けっこう偏った尖ったことも言うと思いますが、その辺りはご容赦を。万人に配慮して記事をかくつもりもないし、そういうのってツマラナイでしょ?

 

コメントに対しては基本放置なので自由に書いてもらってかまいません。返信は期待しないでください。明らかな荒らし等に関しては予告なく削除させてもらいます。

 

以前コメントが重荷になってブロクを削除している経験があったことから、こういう方針になってますのでよろしくです。

 

 

最後に、簡単に私のプロフィールを。

 

「あかつき。」です。

 

正式には”あかつきまる”と読みます。単に「あかつき」と呼んでいただいてもかまいません。

 

九州在住の40代独身男です。趣味はアニメと旅、カメラなど。いわゆるオタクです。