僕たちの棲む世界

この世界はなんなのかを知る。自分は何者なのかを知る。

ツマラナイ事は罪だからだ

人生においてツマラナイことに付き合わされることほどバカげたことはない。

 

細かく書くとすごく長くなる理論だから簡単に言うが、

 

ツマラナイことをやらされ続けると人間は死ぬぞって話。

 

いやまじで。

 

生活がツマラナイことに染まったおかげで死にかけたことあります。

 

 

他人や社会の都合でツマラナイことをやらされ続け、

 

毎日が、人生がツマラナイことで染められてしまうと、

 

人は死ぬ。

 

 

だってそんなの生きてく意味がなくなるから。ただただ苦しいだけだから。

 

 

それくらいツマラナイは罪なのだ。

 

 

誰にとってツマラナイかじゃない。

 

大事なのは自分にとってツマラナイかなのかどうかだけなのだ

 

ツマラナイかそうでないのかというのは他人の判断は関係ない。

 

 

 

ツマラナイと感じることをしない。

 

 

それだけで人生は豊かになる。

 

 

言い換えれば

 

「楽しい」ことに人生を集中させる。

 

その「楽しい」は自分の心が「楽しい」と感じること、思えることということだ。

 

 

なにかと世の中は「楽しいことをしてはいけない」「楽しいだけの人生ではだめだ」などというメッセージに溢れてるが、そんなことに耳を傾ける必要はない。

 

「常識人として」とか「社会人として」とか言われだしたら眉に唾つけてきいておけばいい。

 

相手を自分の都合のいいような人間にしたくしたくてたまらないニンゲンが言ってる場合がほとんどだ。

 

少なくともこの人がこういうことを言ってる根底(裏)にはなにがあるのか疑うくらいのことはしておきたい。

 

 

だいたい、他人に考えや生き方を強いてる時点でそいつが「常識人」「社会人」としてどうなのかって話だ。

 

 

楽しくないこと以外はしないって思ってるくらいがちょうどいい。

 

 

ただ楽しいことのためにツマラナイこともしなきゃいけない場面もある。そこのところは勘違いしないようにしなければいけない。

 

 

だけどそれはあくまで自分が選んだ「楽しいこと」を目的としてだ。

 

 

楽しいことをするお金を稼ぐために自分の時間を切り売りして働く。というのがわかりやすい例だろう。

 

また楽しいことをするために勉強をする、とか楽しいことをするために練習をするとあかだ。そういう部分を飛ばして楽しいことだけをするというのはまた違う。

 

 

ただ、そういったツマラナイことも、あくまで「楽しいことのため」だ。生活のためとか見栄のために我慢してツマラナイことをするではだめだ。

 

 

楽しいことのための我慢ならいいけど、なにも目的もなく、他人にしろと言われたから、体裁が悪いから、みんなやってることだから、ツマラナイことを我慢してやりつづけるのは良くない。

 

 

他人から誘われてもツマラナイことには乗らない。世間で流行っていてもツマラナイと感じることには関わらない。ツマラナイことから逃げる。ツマラナイことを拒否する。

 

 

「価値を感じられないモノ」を強要されなければならない謂われはないのだ。

 

 

生きてるのが辛いって感じてるならば、自分がそういうツマラナイものに支配されてないかよくよく自分を見直すと良いかも知らない。

 

 

もう一度いう「ツマラナイ」は罪だ

 

これだけは声を大にして言わなければならない。

 

 

「楽しい」ことこそが大事だ。

 

 

「楽しい」ことをやってると世間はいろいろと行ってきたりするだろうけど、彼らは嫉妬してるだけだ。「楽しいこと」を価値観にしてかまわない。嫉妬心から文句をつけてくる他人の言うことなんかに耳を貸すな。

 

 

ツマラナイに殺されるくらいなら、「楽しい」に生きて、他人からあーだこーだ言われてるほうがはるかにマシだろ?「ツマラナイ」に殺されるよりはマシなはずだ。