見限りの精神
とにかく僕らはなかなかモノゴトを見限れない。
心の底では「面白くない」と感じながらも惰性でなんとなくやってる趣味。
自分にとって悪いとわかっていながらもやめられない嗜好品。
もう使わない、関心のないモノをなんとなく捨てないで持ってるモノ。
「腐れ縁だから」とか「寂しいから」とかいう理由で離れられない人間関係。
いままでそういう考えてやってきたからと、なかなか変えられない思考、主義。
どこか未練があるから、今まで続けてきたことだから、習慣になってるから、急にやめると身勝手だとおもわれるかもしれないから、相手に悪いから、世間体があるから、腐れ縁だから、情のない冷たい人間に思われたくない ets.ets…。
充実感を感じないことに、将来性のないものに使う時間(やお金)は無駄です。きっぱり見限るべきです。
この「見限り」が人間なかなかできない。
ただ単にぼさっと生きているだけだとなにを見限ればいいのかすらよくわかんないまま毎日を過ごしてる。
「つまらないな」「いらないな」「自分にとってなんの得にもならないな」
そう感じたら、すぐに「見限る」。
それができれば、もっと充実した人生になるのではないでしょうか?
確かに見限らずに続けることで、なにが良いことがあるかもしれない。
でも、たいていはただ単に時間を無駄に浪費するだけでだらだらやってるだけになります。
そういう「続けていたらなにか良いことあるかもしれない」という可能性もスッパリ切り捨てて、新しいことに時間(=人生)を活かしていくべきです。
「継続は力なり」と続けることが良いとされる世の中で、見限るというのは案外難しい。
でも、それが出来るようになれば、行き詰まり感のある人生が動き出すかもしれません。
「これはもういらないな」と感じたことを少しでも早く見限ることができれば、それだけほんとうに自分がやりたいことに時間を使えるのです。
簡単ではないですけど、「見限り」の精神を大事にしていきたいと思います。