僕たちの棲む世界

この世界はなんなのかを知る。自分は何者なのかを知る。

来るものは選べ。

昔、私は「来る者拒まず、去る者追わず」などと言って悦に浸ってたけど、ホント愚かだったね。

 

 

付き合う人間はしっかり選ばねばならん。

誰でも彼でも受け入れるのは愚かだ。

 

 

人生において付き合える人間なんて物理的に、時間的に、数限られてる。

 

友達100人できるかな?

 

っていうけど、100人と友達付き合いを続けるのは現実では不可能だ。

 

 

相手が一人でも、友達関係を続けていくに費やすエネルギーは相当なもの。

 

 

人付き合いでかかる経費、そして時間。

 

 

そんな事言うと、人付き合いに損得勘定持ち込むなんて!!などど叩かれるけど、

 

でも得るものもなく損ばかりの人間関係になんの価値があるのか?

 

 

お互いに良い影響を与えあってこそ良い人間関係なのではないのか?

 

悪い影響を与える人間関係を許容せねばならない理由は何?

 

それに金銭的負担や時間的負担以上に、もっと重要なことがある。

 

それは人は意識しようがしまいが、少なからず他人の影響を受けるということだ。

 

誰かを意識するということは、思った以上に自分の考えや嗜好や生き方などに影響をおよぼす。

 

友達や知人がなにをやってるかを知るだけでも、自分には多少なりとも影響を与えられるものだ。

 

自分にとって悪い影響を与える人間と関わるだけでも、悪い影響を受けるものだ。

 

油断してると他人の影響を受けて悪い習慣がついてしまったりしてることがある。

 

常識的に考えて馬鹿げたことをやってる人がいたとして、その人と関わってることで、馬鹿たこともアリだな…なんて思ってしまったりしてしまう。

 

友達、付き合う人間、知人やそれ以外の周囲の人たちには思った以上に影響を受けている。

 

なので、付き合う人間は選びなさい。

 

悪い人間、だらけてる人間、悪習慣を当たり前としてるような人間とは付き合わないこと。

 

影響をうけるのならば自分の望む生き方をしてる人、自分の理想を叶える人、自分に良い影響を与える人を選んでいけば、良い人間関係を築け、お互いに良い影響を与え合うことができるだろう。

 

 

自分の付き合う人間、周囲にいる人間には細心の注意を払って、自分にとって良い影響を与える人たちばかりにしておかないと、どんどん悪い方に流されていってしまうぞ。

 

「来るもの拒まず」な生き方では駄目なのだ。

渡る世間は馬鹿ばかり。

この意見はこんなに”いいね!”されてるよ!!

 

この意見はこんなに賛同者がいるよ!

 

みんなこう思ってるんだよ!?

 

あなたもこう考えなきゃいけないんだよ!?

 

 

わあたいへん!みんなそう思ってるんだ!

考え方をかえなきゃ!!

 

 

…世の中、ほんと、馬鹿ばかり…。

 

 

 

こういうと他人を見下してるとか、性格悪いとか、優しさがないとか叩かれちゃうんだろうな…。

 

でもあえて言う。

 

 

 

この手合に簡単に踊らされてそうだと思っちゃう人たちって…。

 

 

本当に馬鹿じゃなかろか。

 

 

僕はバカにはなりたくないよ。

好きなことのためなら傲慢にもなろう

次の休み、自分が好きなことに使いたいなあって思ってるところに、友達とかから誘いがあると

 

「一緒に遊べるのはこの時しかないかもだしなー」とか

「自分の都合はまた後日でもいいしなー」とか

「自分の勝手で断るのはわるいしなー」とか

 

思って、自分の”好きなこと”は後回しにして、他人からの誘いを優先させる。

 

 

違うやん!!

 

それは違うやん!!

 

 

自分の好きなことこそ、

その時にしかできんものなんじゃないん?

 

 

好きなことってその程度のものなん??

 

 

相手の誘いがそれを上回る価値があるかどうかも考えずに、自分の本当の気持も聞かずに、即OKするってなんなん?

 

その時する好きなことって、そのときにしかできんことっていうのを考えようや!

 

そうやって他人の都合ばかり優先してると好きなことなんて永遠にできんばい。

 

そして自分にとってなにが大事かもわかんなくなって、好きだったこともどうでもよくなって、からっぽの人間になっていく…。

 

傲慢なのはだめだと人は言うけど、時に人は傲慢にならないと自分の大事なものを守ることができんばい。

 

他人に傲慢になってもやりたいこと。好きなこと。それが本当に好きなことなんじゃないんかい?

 

 

他人の都合で諦めたりやめたりできるものなら、最初からやらんければいいし、

そんなもんは好きなものでもなんでもないばい。

 

 

少なくとも脊髄反射的に他人からの誘いを優先するのは間違ってる。

 

好きのためなら時に人は傲慢にならないと、自分の大切なものがどんどん削られていってしまうよ。

 

 

 

 

見限りの精神

とにかく僕らはなかなかモノゴトを見限れない

 

 

心の底では「面白くない」と感じながらも惰性でなんとなくやってる趣味。

 

自分にとって悪いとわかっていながらもやめられない嗜好品。

 

もう使わない、関心のないモノをなんとなく捨てないで持ってるモノ

 

腐れ縁だから」とか「寂しいから」とかいう理由で離れられない人間関係

 

いままでそういう考えてやってきたからと、なかなか変えられない思考、主義

 

 

どこか未練があるから、今まで続けてきたことだから、習慣になってるから、急にやめると身勝手だとおもわれるかもしれないから、相手に悪いから、世間体があるから、腐れ縁だから、情のない冷たい人間に思われたくない ets.ets…。

 

 

充実感を感じないことに、将来性のないものに使う時間(やお金)は無駄です。きっぱり見限るべきです。

 

この「見限り」が人間なかなかできない。

 

ただ単にぼさっと生きているだけだとなにを見限ればいいのかすらよくわかんないまま毎日を過ごしてる。

 

「つまらないな」「いらないな」「自分にとってなんの得にもならないな」

 

そう感じたら、すぐに「見限る」

 

それができれば、もっと充実した人生になるのではないでしょうか?

 

 

確かに見限らずに続けることで、なにが良いことがあるかもしれない。

 

でも、たいていはただ単に時間を無駄に浪費するだけでだらだらやってるだけになります。

 

そういう「続けていたらなにか良いことあるかもしれない」という可能性もスッパリ切り捨てて、新しいことに時間(=人生)を活かしていくべきです。

 

 

「継続は力なり」と続けることが良いとされる世の中で、見限るというのは案外難しい

 

でも、それが出来るようになれば、行き詰まり感のある人生が動き出すかもしれません。

 

「これはもういらないな」と感じたことを少しでも早く見限ることができれば、それだけほんとうに自分がやりたいことに時間を使えるのです。

 

簡単ではないですけど、「見限り」の精神を大事にしていきたいと思います。

 

ツマラナイ事は罪だからだ

人生においてツマラナイことに付き合わされることほどバカげたことはない。

 

細かく書くとすごく長くなる理論だから簡単に言うが、

 

ツマラナイことをやらされ続けると人間は死ぬぞって話。

 

いやまじで。

 

生活がツマラナイことに染まったおかげで死にかけたことあります。

 

 

他人や社会の都合でツマラナイことをやらされ続け、

 

毎日が、人生がツマラナイことで染められてしまうと、

 

人は死ぬ。

 

 

だってそんなの生きてく意味がなくなるから。ただただ苦しいだけだから。

 

 

それくらいツマラナイは罪なのだ。

 

 

誰にとってツマラナイかじゃない。

 

大事なのは自分にとってツマラナイかなのかどうかだけなのだ

 

ツマラナイかそうでないのかというのは他人の判断は関係ない。

 

 

 

ツマラナイと感じることをしない。

 

 

それだけで人生は豊かになる。

 

 

言い換えれば

 

「楽しい」ことに人生を集中させる。

 

その「楽しい」は自分の心が「楽しい」と感じること、思えることということだ。

 

 

なにかと世の中は「楽しいことをしてはいけない」「楽しいだけの人生ではだめだ」などというメッセージに溢れてるが、そんなことに耳を傾ける必要はない。

 

「常識人として」とか「社会人として」とか言われだしたら眉に唾つけてきいておけばいい。

 

相手を自分の都合のいいような人間にしたくしたくてたまらないニンゲンが言ってる場合がほとんどだ。

 

少なくともこの人がこういうことを言ってる根底(裏)にはなにがあるのか疑うくらいのことはしておきたい。

 

 

だいたい、他人に考えや生き方を強いてる時点でそいつが「常識人」「社会人」としてどうなのかって話だ。

 

 

楽しくないこと以外はしないって思ってるくらいがちょうどいい。

 

 

ただ楽しいことのためにツマラナイこともしなきゃいけない場面もある。そこのところは勘違いしないようにしなければいけない。

 

 

だけどそれはあくまで自分が選んだ「楽しいこと」を目的としてだ。

 

 

楽しいことをするお金を稼ぐために自分の時間を切り売りして働く。というのがわかりやすい例だろう。

 

また楽しいことをするために勉強をする、とか楽しいことをするために練習をするとあかだ。そういう部分を飛ばして楽しいことだけをするというのはまた違う。

 

 

ただ、そういったツマラナイことも、あくまで「楽しいことのため」だ。生活のためとか見栄のために我慢してツマラナイことをするではだめだ。

 

 

楽しいことのための我慢ならいいけど、なにも目的もなく、他人にしろと言われたから、体裁が悪いから、みんなやってることだから、ツマラナイことを我慢してやりつづけるのは良くない。

 

 

他人から誘われてもツマラナイことには乗らない。世間で流行っていてもツマラナイと感じることには関わらない。ツマラナイことから逃げる。ツマラナイことを拒否する。

 

 

「価値を感じられないモノ」を強要されなければならない謂われはないのだ。

 

 

生きてるのが辛いって感じてるならば、自分がそういうツマラナイものに支配されてないかよくよく自分を見直すと良いかも知らない。

 

 

もう一度いう「ツマラナイ」は罪だ

 

これだけは声を大にして言わなければならない。

 

 

「楽しい」ことこそが大事だ。

 

 

「楽しい」ことをやってると世間はいろいろと行ってきたりするだろうけど、彼らは嫉妬してるだけだ。「楽しいこと」を価値観にしてかまわない。嫉妬心から文句をつけてくる他人の言うことなんかに耳を貸すな。

 

 

ツマラナイに殺されるくらいなら、「楽しい」に生きて、他人からあーだこーだ言われてるほうがはるかにマシだろ?「ツマラナイ」に殺されるよりはマシなはずだ。

 

 

今を生きてる僕らが、今できることは1つしかない。

を生きてる僕らができることは1つしかない。

 

確かな現実は今この一瞬でしかない。過去も未来も不確かなものということを以前書きました。

 

 

今が全てな人生において、今できることはたったひとつだけなんです。

 

だから可能な限り自分のやりたいこと、大事なことをやるべきなのです。

 

無駄なことをやってる暇はないのです。

 

 

どうでもいいこと、やらなくてもいいこととかできるだけやらない。

 

そんなことにを使ってるのは、そんなことに人生を使ってるのと同じです。

 

 

言われて嫌々やってる。

なんとなく惰性でやってる。

ただ誘われたからやってる。

ただみんながやってるからやってる。

ほんとうは興味もないのにやっている。

ほんとうはツマラナイって思ってるけどなんとなくやってる。

付き合いだからやってる。

考えもせず、いつもやってるからやってる。

急に変わると回りからおかしく思われそうだからやってる。

たぶん、好きだからやってるじゃないかな?そういことにしておこう。

本当はもう飽きてるのにやってる。

とりあえずやってる。

 

 

MOTTAINAI!!

 

人生を無駄にしてまっせ?

 

 

今はこの一瞬にしか無い。一番やりたいことに使おうぜ。

 

自分の時間を自分の一番大事なものに使ってるかい?

 

ちゃんと、今の使い道を考えて使ってるかい?

 

 

取捨選択をしよう。

 

行動の断捨離だ。

 

いらないものは捨てな!

 

いらないものに今(=人生)を使ってると、

大切なものに今をつかえない。

 

一瞬一瞬の今を大事にしたいならば、

 

いらないもの

どうでもいいもの

つまんないもの

 

に大切な人生を切り売りしないことだな。

 

思い切って捨てること。

 

捨てないと得られない。

 

何かを手に持ってる限り新しいものは手に持てない。

 

手に持ってるくだらないものをゴミ箱にポイ!

 

空いた手で自分の大切なものを持ちなよ。

 

 

もう一度言う。

 

 

今を使ってできることはたった一つだ。

 

その”たった一つ”は自分の一番大切なものに使いなよ。

 

たった一つに集中しなよ。

 

一瞬一瞬の今を大切に使うことによって、人生は好転してゆく。

 

今というこの時を大切につかおうぜ。

 

君よ「嫌われたくない」の奴隷になるな。

文句言いたいけど嫌われたくないから文句言わない。

 

言い返したいけど、嫌われたくないから口をつぐむ。

 

断りたいけど、嫌われたくないから断れない。

 

 

気まずくなるから黙った。

 

後々のこと考えて黙った。

 

 

あきらかに不当な扱いを受けていても、嫌われたくないという一心で堪える。

 

まるで嫌われたくないの奴隷。

 

 

 

あいつどんな無茶言っても聞きよるで!

 

そう思われても仕方がない。

 

 

後々相手と気まずくなることはないかもしれんが、

 

後々、事あるごとに思い出して苦しむことになる。

 

悔しい思いを抱えて生きていくことになる。

 

 

もう、いいやん嫌われたって。

 

 

言いたいことを飲み込むことでどんだけ自分を傷つけてるの?

 

 

相手が不当なこと言ってきて一方的に我慢を強いられるのって理不尽やん?

 

相手にもナメられるし、自分も傷つけるし、いいことひとつもないです。

 

 

ここはもう覚悟を決めて嫌われようや。

 

 

案外、「コイツちゃんと言いたいこといいよる」と一目置かれるかもしれん。

 

歯向かってくる人間だと理解させられて、無茶言ってこなくなるかもしれん。

 

相手の態度が改まるかもしれん。

 

 

黙って飲み込めばその場は収まるかもしれんけど、同様のことがずっとずーっと続いていく。

 

 

それならいっそ、噛み付いて嫌われてやれ。

 

ぎゃんぎゃん吠えてくる犬は蹴り飛ばしてやらなきゃ、わからない。怯えるだけでは余計に吠えかかってくる。

 

 

 

仮に言い返して嫌われて無視されるほうがまだ良い。

 

都合のいい人間だと思われ一生ていいように使われるよりはるかにマシなんじゃなかろうか?

 

 

嫌われたくないの奴隷にはなるなよ。